ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドの感想

入院騒ぎもあったものの、switchとゼルダは予約通りに手に入れることができ、退院して以来寝ても覚めてもゼルダを遊び続ける生活だった。
先日ようやくクリアしたので一息つけることができ、このゲームがどれほど面白いものだったのかを噛み締める時間を得られた。


あまり陳腐な表現を使いたくはないのだが、このゲームに関しては、まさしく時代を変えるレベルの神ゲーであると確信した。
「時のオカリナ」が3Dゲームの革命であると言われるように、今作ブレスオブザワイルドはオープンワールドゲームの一つの結論として、おそらく後世に語り継がれ続ける作品になるだろう。

以下、ネタバレ注意。




まず、最初に遊び始めて、少し歩くと、焚き火のそばに焼きりんごが落ちていた。それを手に入れると、焚き火に当たっていた老人から「りんごは少し炙ったぐらいが美味しいんじゃ」みたいなことを言われた。アイテム画面を見てみると、なるほど生のりんごよりも焼きりんごの方が回復量が多い。それなら試しに炙ってみようと思い、手持ちのりんごにカーソルを合わせても、「りんごを炙る」というアクションが存在するわけではない。まさかと思いつつ、りんごを「手に持ち」、焚き火のそばに「置いた」。すると、パチリとりんごに引火し、焼きりんごが出来上がったではないか。この瞬間、俺はもう「このゲームはヤバいぞ」と確信したのである。

このゲームにおける焚き火は、決してただの「料理をするためのオブジェクト」ではなく、「火」そのものなのだ。火に近付ければ、燃える。現実的に考えれば、水分を多く含むりんごがちょっと炙っただけで引火するというのは「リアル」ではないのだが、「焼いたら燃えるに決まってるじゃないか」という「説得力」がある。

そう、このゲームは、リアリティではなく、ただただ強烈な「説得力」でもって、プレイヤーを楽しませているのだ。

このゲームでは、雷雨になると金属製の装備に対して雷が落ちるようになる。これも現実では迷信であり、金属製のアクセサリーなどに雷が落ちやすいという事実はないのだが、「鉄には電気が流れやすい」という「説得力」によって納得させられる。

タオルほどの小さな布を広げただけで空中を自在に滑空出来たり、身の丈ほどもある大岩を押し転がしたり、大きなうちわで仰いでイカダを動かしたり、断崖絶壁をよじ登ったり、やっていることはリアルではない。しかし、極限までデフォルメした化学と物理によって、このゲームはリアルではないにも関わらず、説得力を生み、納得と楽しさを与えてくれるのだ。



「説得力」と「納得」というのは、今作の謎解きにも通じる。

例えば、踏んでいる間だけ作動するスイッチがある。
このスイッチを、リンクが離れても作動させ続けたいとする。
まず最初に思いつくのは、リンクではない重い何かをスイッチの上に置くことだろう。
「従来のゼルダ」では、この「重い何か」は、部屋のどこかに隠されているオブジェクトであり、それを探して運んでこなければならなかった。
もちろん今作でも、鉄製のタルが配置されているので、それを運んでくれば起動することが出来る。
しかし、このスイッチは、あくまで「重量によって作動する」ものである。「鉄製のタルを置かなければならないスイッチ」ではないのだ。

つまり、手持ちの武器や食材を片っ端から置きまくれば、それで起動してしまうのだ。
また、「オブジェクトの時間を一時的に止める」というアイテムを使い、スイッチが踏まれた状態で固定しても間に合ってしまう。
それどころか、そもそもスイッチを起動することを放棄し、崖を爆弾の爆風で吹っ飛ぶなどして無理矢理突破することも場合によっては可能である。

この謎解きは、「置くべきものを探せ」ではなく、「とりあえず見えるものあるものなんでも使って進め」というミッションなのだ。つまり、突破できればそれが正解。
従来の作品であれば、これらの解法はいわゆるバグ技やglitchと呼ばれるもので、デバッグによって発見し修正されるべき不具合であったのだが、今作ではそれがほとんど許容されている。
これは、「やれそうなことはだいたい出来る」という説得力のための設計であり、「重さで起動するスイッチなら、手持ちのアイテムで起動してもいいじゃん」というプレイヤーの思いつきを実現してくれる設計なのだ。



謎解きゲームとは、往々にして「作者の気持ちを考えなさい」となりがちである。
RPGツクールやスーパーマリオメーカー等でゲームを作る体験をした人は多いだろうし、その中で、謎解きというか、パズル系のゲームを作ったことのある人もいるだろう。
そういう人になら分かって貰えると思うが、そもそも、謎解きゲームで謎を解かれずにゴールされるというのは、何故だか分からないが嫌なのだ。
「俺の考えた通りにクリアするのが当たり前なのだ」と、作る側も遊ぶ側も、無意識の内に考えてしまっている。
しかし、肝心の謎部分に説得力が薄いと、なんとなく納得がいかないままクリアしたり、逆に全然答えが思い浮かばなかったりするものだ。

その点、この作品は驚くほどに勇気のある決断をしている。
謎解きにしてもシナリオにしても、いわゆる「正規ルート」は用意してあるものの、プレイヤーはそれに従わなくてもいいのだ。
「ゼルダのアタリマエ」どころか、これは「ゲームのアタリマエ」すら変革してしまっている。
何をするか、どこへ行くか、どうやって進むか、全てはプレイヤーに委ねられている。
しかも、ただ放り出されるわけではなく、前述の「説得力」によって、プレイヤーは様々なアイデアを思いつき、実際に実行してみようと試すのだ。そして、思い通りにそれが実現したとき、最高に楽しいと感じる。

俺は、ゲームにおける自由度とは、なんでも出来ることではなく、何をするか自分で決められることだと思っているが、その点、このゲームは究極に自由だ。

モンスターとの戦闘も、色々な思い付きや作戦を実行することが出来る。
見張り役がいるからまずはそいつだけ遠くから矢で射抜こうとか、近くに樽爆弾が置いてあるから着火して一網打尽にしてやろうとか、近くの崖の上に岩があるから転がしてやろうとか、足元が燃えやすそうな枯れ草だから火の海にしてやろうとか、装備が整ってきたから正面突破してやろうとか、それも華麗な回避からのラッシュだったり、大剣の回転斬りで一層したり、馬で走り抜けてすれ違いざまに槍で突きまくったり、とにかくいろんな戦い方が出来る。このゲームでは何をしてもいいのだから。
周りを見渡して、最も効果的な戦い方を考えるのが、とても楽しいのだ。



ところで、今作のシナリオは、そんなゲームの設計から逆算して作られたものに思える。

前述したように、このゲームはいつでもなんでもやっていいように設計されている。しかし、それによって逆にメインストーリーを順序立てて読ませながら進めるというシナリオは実装できなくなっている。

そこで生み出された(と勝手に予想している)のが、リンクの記憶喪失設定だ。

ゲーム開始直後、リンクは記憶を失って目覚め、右も左も分からないままに裸一貫でハイラルの地に投げ出される。このリンクの状況は説明書すら存在しない状態でいきなりゲームを開始したプレイヤーの状況とまさしく「リンク」しているわけなのだが。

ゲームを進めると、リンクは過去の戦いで満身創痍となり、回復のために100年の眠りについたことで記憶を失ったということを知らせれ、その後かつてゼルダ姫と共にハイラル各地を回った折に撮影した、いくつかの写真を手に入れる。この写真を撮った場所に再び赴くことで、当時の記憶が少しずつ蘇っていくのだ。

この記憶喪失設定、非常によく出来ていて、「過去の出来事を断片的に思い出す」形でシナリオを紡いでいくことで、いつどの順番でシナリオを読んでも矛盾が発生しないようになっているのだ。思い出した記憶はメニューからいつでも見返すことが出来るので、全ての記憶を思い出した後、もう一度時系列順に記憶を見ることで、この物語の全容を知ることが出来る。

ゼルダ姫という人物も、ある記憶では仲が良かったのに、別の記憶では突然つっけんどんになったり、よく分からないキャラクターだなと思ったものだが、全ての記憶を取り戻してから順番に見ていくと、この人物がどういう気持ちだったのかということがはっきりと分かった。
このゲームの設計だからこそ、こういうシナリオになるのは必然だったのだと思う。



そんなわけで、ブレスオブザワイルドはこの時代を代表するオープンワールドゲームとしてゲーム史に刻まれることは間違いないだろうし、今この時代にこのゲームに触れることが出来たことをゲーマーとして誇りに思う。

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