2017年4月3日月曜日

ARCVに耐えた

3年間クソアニメを追い続けるという苦行をなんとか耐え抜いた。
いや、1年目は面白かったけど、どんな娯楽でもつまんなくなったらすぐ切るタイプの俺がここまで耐え抜いたのは、ひとえにこの伝説レベルのクソアニメをリアルタイムで視聴した世代として語り継がなければならないという使命感であった。



今までの遊戯王シリーズは、序盤の印象が悪かったり、中盤で中だるみがあったりしても、なんだかんだで終わり良ければ全て良し、と感じられるように締めくくってくれた。しかし今作に限っては、そのような感傷の欠片さえ浮かび上がってこない最終回であり、見終わったあとに感じたのは、これで義務から解放されるという安堵と、結局最後まで何も面白くならなかったという失望だけだった。

ARCVの質に関しては、「なにがつまらなかったのか」より、「どう面白くするつもりだったのか」という視点から考察するべきだと考えた。



アクションデュエル

これは最初から疑問視され続け、俺もそのうち面白くなるだろうと期待し続け、ついぞ面白くならなかった要素である。
例えばライディングデュエルは、今までのカードゲームアニメには絶対にありえなかった並走という構図と、背景を流し続けることによる躍動感を生んだ。
5DsとARCVは監督が同じということもあって、アクションデュエルにも似たような効果を求めたのだろうと想像できる。
しかし、生み出されたのは現実世界に足場が浮くだけの殺風景なフィールドに、攻撃された瞬間だけ飛び出して防御カードを拾うデュエリストの姿だった。
一年目がそこそこ面白かったのは、デュエルフィールドが毎回異なる様々な景色を舞台にしていたからというのも理由の一つかもしれない。
アクションデュエルを画的に魅力的に描くには、口上の通り、デュエリストがモンスターと共に地を蹴り宙を舞い、フィールド内を駆け巡る必要がある。
しかしシンクロ次元編以降、フィールドが狭くて殺風景なクロスオーバーに固定されたことで、そのような演出が難しくなり、アクションデュエルの魅力を描くことが出来なくなったように思える。

また、遊戯王における醍醐味の一つとして、相手の策を読んであらかじめ罠カードを伏せておく、いわゆる「それはどうかな」が挙げられる。
しかし、防御の大半をアクションカードに委ねる遊矢たちは、どうもその辺りの対策や読みの強さが欠けているように見えてしまうし、いつまでたっても運頼みという印象を拭えない。
基本的に、「ここで引かなきゃ負ける!」という場面は、デュエル中に1回が限度である。1回であれば「デッキが信頼に答えてくれた」と解釈できるが、そう何度も運に任せているようではそもそもデッキ構築に欠陥があると言わざるを得ない。
しかし遊矢たちはアクションカードを拾う場面で常に運頼みだ。
カードゲームというのはいかに運要素を減らして確実な勝ち筋を作っていくかにあるので、それを怠る彼らは戦略的に低レベルであるように我々の目には映ってしまう。



エンタメデュエル

デュエル、というかカードゲームの面白さとは本来、お互いの知略のぶつかり合いから生まれる読み合い、メタ、ここぞというときのドロー運などから生まれる。
エンタメデュエルはあえてそれを否定し、サーカスのような演出面で魅せることに注力していた。
それ自体は、おそらく描き方によっては我々にとっても魅力的に映ったのだろうと思う。しかし、圧倒的に制作側の技量が足りていなかった。
そもそも魅力的なサーカスを描けていないのである。
画で魅せるなら作画を頑張るしかないということに気付いていなかったらしい。
結局、我々の目には退屈なショーでしかないまま、周りの観客だけが勝手に感心して笑顔になる、視聴者置いてきぼりのエンタメデュエルになってしまった。



遊矢と柚子に似た顔の登場人物たち

これも、「自分にそっくりな人間がいる」という出落ち以上には活かし切れていなかったように思えた。
顔が同じという設定が活かされたのは、まずユーゴとユートがお互いをユーリと勘違いして衝突した件だが、そもそもユーゴがろくに本筋に絡まなかったのと、ユートもすぐに遊矢に吸収されてしまったため、その辺りの確執はあまり取り沙汰されることがなかった。
また、柚子とセレナがお互いに服を交換したこともあったが、結局二人ともスタンダード次元から消えてしまったため、あまり意味のある行動ではなかった。

根本的な問題として、自分とヒロインの分身が4人ずつ、すなわち8人ものメインキャラクターが存在すること自体が、それぞれの出番を削り、尺を奪い合う原因となっている。
ユートがひたすら遊矢の背後霊をやっている裏で、ユーゴは持ちネタ以外の何も掘り下げられることはなく、ユーリも何を考えているのか分からないキチガイキャラのまま暴れるだけ暴れて退場、しかも最終回間際では当然のように味方面、瑠璃とリンも遊矢との接点がないまま洗脳、統合、最終回では存在ごと抹消される始末。
この監督は5Dsの頃から登場人物を捌ききれないという欠点があった(5Dsの6人チームでさえ深刻な出番格差が存在する)のに、主人公格だけで8人、さらにランサーズやゲストキャラの面々まで登場させて、どう考えても捌けるわけがなかったのだ。



次元戦争

デュエルを戦争の道具にする勢力に対し、サーカスじみたエンタメデュエルで対抗するというのは、今までのただデュエルで勝てばとりあえず解決するいわゆる「デュエル脳」と違い、非常に難しいテーマだということは想像に難くない。
遊矢のスタンスからして、ただ強いカードでただ倒すのでは意味がない。
自分も相手も観客も笑顔にしなければ意味が無いのだ。戦場で。
遊矢に眠る覇王の人格も絡めてその辺りの葛藤を描こうとした形跡はあるものの、結局制作側でも納得の行く結論を出すことは出来なかったようで、前述の描写力不足のサーカスのこともあり、結果として、全然楽しく見えないのに遊矢のデュエルでなんとなくみんなが笑顔になるという薄気味悪い展開になってしまった。

また、黒幕たるプロフェッサーの目的も、「(かつてズァークを封印するために分裂した)レイを取り戻すために柚子シリーズを回収する」ことであるにも関わらず、その手順で次元を統合するせいでズァーク復活のリスクを追うという元社長とは思えないリスク意識の低さを見せているし、融合次元のユーリがズァークの一部だと分かっているのに何の手立てもなく兵士として勝手に遊ばせた挙句他の遊矢シリーズを無駄に刺激させるという、もはや自滅したいとしか思えないレベルの意味不明さである。
さらに、レイの復活に必要な部品であるはずの柚子シリーズをドクトルの手によって洗脳させ、遊矢への挑発に使い、戦闘員として使用するなどと、本格的に何がしたいのか分からない。
これもおそらく、ヒロインを洗脳して戦わせる卑劣な罠、という出落ちだけを考えて導入し、それによって何の矛盾が生まれるのか全く考えていなかったのだと思われる。



過去作キャラの登場

シンクロ次元編でジャックとクロウが登場すると発表されたときは湧いたものだが、結局のところ、客演のくせにやたら偉そうに主人公に説教するキングと、客演のくせに主人公より黒咲と仲良くするテロリストが話をかき回した挙句、主人公サイドに必要だったはずの描写を奪っただけだった。
他の客演キャラについては、即堕ちする悪の幹部、知らん間に仲間面するレジスタンス、おっぱい付き松葉杖など、もはや語るまでもない。
これらの過去作キャラの登場についても、特にエドに関しては、もともと別のキャラクターに割り当てられるべき役割だったものを、無理矢理ゲストに当てはめた結果、意味不明なキャラ改変が行われたように感じられた。



さて、これらの問題のある要素を一つ一つ見ていくと、どれも共通点として、「思い付きや出落ちで入れた設定を面白く描けなかった」という要因を見つけることが出来る。

つまり、「この設定を導入することによってお話がどう面白くなるのか」ということを全然考えていなかったのだと思われる。
無駄なところで尺を使うくせに肝心なところが説明不足だったり、最終話間際の「レイラが笑えばズァークのあれこれも万事解決」みたいな丸投げ感だったり、そういうのも全て、お話をどう面白くしてどう転がしてどう着地させるのかを全然考えなかった結果なのだ。

かつて5Dsを綺麗に着地させたことを考えると、必ずしもそれが出来ない監督というわけではないはずだから、製作段階で何かしらの問題が生じたのかもしれないが、部外者である我々には知る由もない。
とにかく、ARCVという作品の問題は、何がどう面白くなるのかを全然考えずに思いつきだけでぽいぽい設定放り込んで作ったという点にある。

さて、どれだけARCVがクソアニメだったとしても、無限に叩いて良いわけではない。
もう終わった作品なので触れるのは今日この記事が最後だ。

気持ちを切り替えて、5月からは新作の遊戯王VRAINSが始まろうとしている。スタッフも変わるようだし、楽しみに待つとしよう。
…なんで5月?


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