2018年6月28日木曜日

鬱病になった

メンタルに行ったら抗鬱剤が出た。

社会生活が上手くいかないのはいつものことだったが最近は特に生きていくことに不安を覚えることが多く、前触れもなく突然動悸のようなものに襲われ、明らかに精神に異常をきたしている自覚を持ってメンタルへ行ったら、鬱病と診断された。驚きはなかった。

正直なところ、鬱病と言われれば気が楽になるかと思っていた。
自分が駄目なのは病気のせいだと言い訳して逃避出来るかと思っていた。
だが、そうもいかないらしい。

これがもし、俺がいじめを受けていただとか、ハラスメントに耐えかねていただとか、倒れるほど働いていただとかで、人として限界を迎えた末に潰れてしまったというのなら、まだ格好もつく。
だが、俺はそうではない。
俺は単に普通の人間が当たり前に出来るように大学に行って勉強して、合間の時間にバイトで生活費を稼ぐような、普通の社会生活を送ろうとして、それすらままならずに、頑張りもせずに、怠けているだけで勝手に鬱病になっただけだ。
そんなものの何が言い訳になるだろうか。
結局鬱病以前にお前がダメ人間なだけだと、社会から逃げようとして躓いただけなのだと、誰かから誹りを受けたとしたら、俺は何も反論できない。

人並みに頑張りもせず鬱病だけは一丁前か。
自分が本当に情けない。



考えてみればそれもおかしな話である。
もし仮に、誰かが俺と同じように不出来で鬱に悩んでいるとしたら、俺はきっと「人には向き不向きがあるのだから、周囲と同じであることに固執せず自分に出来ることをゆっくりと探していこう」などといった優しい言葉を本心からかけることだろう。
そして俺自身もそう考えて生きていくべきであると客観的に考えることが出来る。

だが、そんな正論とは関係なく、俺の脳は勝手に不安を覚えて勝手に落ち込む。
俺は怯える必要のないことに怯えている。
俺は他人に優しく出来るが、俺の周りの人間がそうとは限らないと脳裏によぎる。
俺の理性は他人の目など気にするなと言っているのに、俺の脳は他人から誹られたり失望されることを極端に恐れている。
理性と感情がズレている。
たぶん、それが鬱という症状なんだろう。

今なら、妄想に悩む統合失調症患者の気持ちがよく分かる。
たまに、彼らの妄想に対して「集団ストーカーなどありえない」「電磁波で思考盗聴などできるわけがない」などといった正論で論破を試みる者を見かける。
だが、彼らとてそんなことは分かっているはずなのだ。
きっと彼らも理性ではありえないと分かっていても、そんなこととは無関係に脳が勝手に不安を覚え、その不安に押し潰されてしまったのだ。
俺は幸いにも自覚症状があるので正気を保っているけれど、彼らはそうではない。
それはきっと耐え難い苦しみだ。



もう一つ、俺には確信めいたものがある。
それは自分がADHDである疑いだ。
まだ診断は出ていないが、幼少時の落ち着きのなさ、忘れ物の多さ、宿題を先延ばしにしてしまうことなど、心当たりは数多くある。
今度の通院で結果が出るだろう。
だが、仮に俺がADHDであることが分かったとして、それで俺は救われるのだろうか。
俺の無能さが生まれつきのものであるというどうしようもない現実を突きつけられて絶望してしまうだけなのではないだろうか。

そんな不安に怯えながらレクサプロを飲み込んだ。

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