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小学生に読書感想文を書かせるのをやめろ(かわる課題の提案)

2年前の記事 のリメイクです。 最初にハッキリと言っておく。読書感想文を小学生に書かせるべきではない。 本の読み方というのは人それぞれだ。 一行一行分析しながら読み、一章ごとに考察する人もいれば、名作を無心に読みきって、言葉に出来ない読後感に浸る人もいるだろう。 しかし、後者のような言葉にならない感動を抱くタイプの子供は、「読書感想文不適合者」である。 芸術鑑賞という点において「何か分からないが、とにかく感動した」という気持ちは決して否定されるべきではないはずだ。心中を言葉にするという能力には個人差がある。 その点、読書感想文という課題は、「言語化可能な感想」以外を認めない。 感想の形を強要する。 これは苦痛である。 言葉にならない感動を抱くタイプの子供に読書感想文を要求すると、読書は芸術鑑賞ではなく苦行になる。読書で心から感動してはいけなくなる。強引にでも、本当の感想でなくても、なんとかして言葉にしなくてはならなくなる。 読書が苦痛と結びつく。 それが読書感想文である。 心中を言語化するという訓練は必要だ。 何かを読んだことについて何かを書くという能力はいずれ社会で要求される。 しかし、そのために少年の読書体験を犠牲にする必然性はどこにもない。 というか、心中の言語化という能力が読書感想文で培われるとも思えない。 あれで鍛えられるのは、 「思ってもないことを感想という体で書く」 「関係のありそうでないことを書いて文章量を増やす」 というごまかしの能力だ。 読書が苦痛であるという刷り込みを代償に、そんなものしか手に入らない。 高校生ぐらいになれば、作者や時代背景から本を考察するような文章が書けることもあろうが、それを小学生に求めるべくもない。 ここで発想を逆転させてみよう。 「心中を言語化する能力を鍛える」ために苦痛な課題を出すのではなく、「心中を誰かに伝えたい」というモチベーションを生じさせるようにする。 「読書感想文」は先生に提出する課題だから、そこに「伝えたい」というモチベーションは生まれにくい。 しかし、「特定の友達にオススメしたい本」という課題ならどうだろうか。 読者を具体的に想定させることは、モチベーションに繋がりやすい。 先生に本をオススメしてもしょうが