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ゲームにおける目標設定は自発的に決定したっぽくなるのがよい

「最近のゲームのやりこみ要素は自発的に見つけるのではなく与えられたミッション・作業をこなすものになっている」みたいなツイートを見つけた。 「最近のゲーム」とかいう主語がデカすぎる上に言う本人に限って最近のゲームやってないことばかりなクソワードは置いとくとして、やりこみ要素、というかゲームにおける目標設定について考えていた。 で、記事のタイトルなんだけど、ゲームにおける目標設定は、自発的に決定した と錯覚できる のがよい。 望ましいのは、メーカー側が想定する短期・中期目標はあるけれど、それを「Aをこなせ」と指示するのではなく、プレイヤー自身が「Aをするのがよさそうだ・面白そうだ・効率的だ」と 気付いたように見せかけられる ような作りだ。 要するに、目標をまるで自分で発見したかのように誘導をしてくれるゲームということだ。 例えばモンハンにおいて、与えられたミッションとはキークエストと緊急クエストだ。極端な話、他の有象無象のクエストは一切やらなくてもクリアまで到達できる。 しかし、例えばあるモンスターを倒すために弱点武器を作りたくて、その弱点属性を持つモンスターがキークエスト以外に存在するとか、そういう理由で他のクエストもプレイすることになる。 「キークエストだけをプレイする」という効率重視な遊び方もあるが、順当に武器を作って楽しもうとすると 「自然といろんなクエストをこなすようになる」 。 この「自然に」という部分が鍵で、これがもし「このクエストもやらなければならない」というミッションだった場合、モチベーション低下に関わる。 「ゲームの自由度」とは「なんでも出来る」ことだけではなく、「自分で決めた」と思い込めることだ。 ところで、なんでも出来るサンドボックスゲームの代名詞とも呼べるマインクラフトでさえ、ゲーム側が想定した目標というものが存在する。 それは鉱石だ。 鉄を採るには石のピッケルが、ダイヤを採るには鉄のピッケルが、黒曜石を採るにはダイヤのピッケルが必要になる。 MOD構成によって多少は変動するけれども、最低限の鉄やダイヤを集めることはやっておかないとマインクラフトというゲームが成立しないことが多い。 マインクラフト側が「鉱石を採れ」とミッションを与えてくるようなことはしないにも関わらず、ほとんどのプレ

マリオメーカーとニコニコランキングの話

(16/01/20追記) 正直に白状するとマリメ関連で荒れてる時に下手に擁護して任天堂信者しすぎるのもアレかなと思ってバランス取りのために軽く任天堂叩いてみようとした記事でした。結果から言うと完全に的外れでした。本当にごめんなさい。こういう記事は二度と書きません。 以下の記事は読む価値がないので読まなくていいです。

小学生に読書感想文を書かせるのをやめろ(かわる課題の提案)

2年前の記事 のリメイクです。 最初にハッキリと言っておく。読書感想文を小学生に書かせるべきではない。 本の読み方というのは人それぞれだ。 一行一行分析しながら読み、一章ごとに考察する人もいれば、名作を無心に読みきって、言葉に出来ない読後感に浸る人もいるだろう。 しかし、後者のような言葉にならない感動を抱くタイプの子供は、「読書感想文不適合者」である。 芸術鑑賞という点において「何か分からないが、とにかく感動した」という気持ちは決して否定されるべきではないはずだ。心中を言葉にするという能力には個人差がある。 その点、読書感想文という課題は、「言語化可能な感想」以外を認めない。 感想の形を強要する。 これは苦痛である。 言葉にならない感動を抱くタイプの子供に読書感想文を要求すると、読書は芸術鑑賞ではなく苦行になる。読書で心から感動してはいけなくなる。強引にでも、本当の感想でなくても、なんとかして言葉にしなくてはならなくなる。 読書が苦痛と結びつく。 それが読書感想文である。 心中を言語化するという訓練は必要だ。 何かを読んだことについて何かを書くという能力はいずれ社会で要求される。 しかし、そのために少年の読書体験を犠牲にする必然性はどこにもない。 というか、心中の言語化という能力が読書感想文で培われるとも思えない。 あれで鍛えられるのは、 「思ってもないことを感想という体で書く」 「関係のありそうでないことを書いて文章量を増やす」 というごまかしの能力だ。 読書が苦痛であるという刷り込みを代償に、そんなものしか手に入らない。 高校生ぐらいになれば、作者や時代背景から本を考察するような文章が書けることもあろうが、それを小学生に求めるべくもない。 ここで発想を逆転させてみよう。 「心中を言語化する能力を鍛える」ために苦痛な課題を出すのではなく、「心中を誰かに伝えたい」というモチベーションを生じさせるようにする。 「読書感想文」は先生に提出する課題だから、そこに「伝えたい」というモチベーションは生まれにくい。 しかし、「特定の友達にオススメしたい本」という課題ならどうだろうか。 読者を具体的に想定させることは、モチベーションに繋がりやすい。 先生に本をオススメしてもしょうが

僕はいわっちが大好きでした。

任天堂社長の岩田聡さんが7月11日に亡くなりました。 言葉が出てこなくて、何を言えばいいか分からなくて、2日ほどツイッターを離れてました。 というより、そのうちひょこっと[岩田]ツイートをするのではと、ニンテンドーダイレクトでちょっと痩せたけど元気そうな顔を見せてくれるのではと、来年には朗々とNXの展望を語ってくれるのではないかと、そういうふうに思ってしまって、彼がもう二度とその姿を見せてくれないということを自分が認識できていません。 しかし岩田社長は亡くなりました。 55歳。早すぎませんか。 突然ニンテンドーダイレクトのプレゼン役を交代したと思ったら、こういうことですか。 Miiを更新して、なにが痩せた体型を維持できそうだ、ですよ。遺影になったらそりゃ変わりませんよ。 DeNAとの提携はどうするんですか。NXはどうするんですか。みんなを納得させられる説明はあなたにしか出来ないんですよ。 ダイレクトだって慣れない森本さんと一緒にたまには出るって言ってたじゃないですか。 「課長に訊く」で「いつかまた自分でゲームを作りたい」って言ってたじゃないですか。 はっきり言って、ゲーム業界の未来は決して明るいものではありません。 しかしそんな時だからこそ、岩田社長ならぶれることなく信念を持って任天堂を、ゲーム業界を導いてくれると信じていました。 こんな折りに亡くなってしまっては、これから先ゲーム業界がどうなっていくのか、われわれは楽しいゲームを楽しめるのか、どうしても不安になって仕方がありません。 彼の死はファンとして悲しいし、ゲーマーとして惜しい。 彼の代わりはいないけど、新しいクリエイターが彼の信念を受け継いでくれることを願います。 彼の想いをゲームにかえて、われわれに楽しみを届けてください。 いわっちは僕の大好きな社長で、クリエイターで、ゲーマーです。 お疲れ様でした。

スマホゲームに対する任天堂・岩田社長の姿勢は矛盾していない

この記事を2ちゃんねるにマルチポストするのはいろんな人に迷惑がかかるのでやめてください。 任天堂とDeNAが業務提携を発表したが、一部の連中が「あれだけスマホゲーム批判してた岩田が手のひら返し」だの「ダブスタ」だの叩いてるのを見かけたのでインタビュー記事を引用しダブスタじゃないことを明らかにする。

スマブラ3DS/WiiU サムス考察その2

前回の記事 から4ヶ月以上が経過したが、WiiU版が出て久しいし勝率はようやく6割乗るようになってきたので今度は立ち回りについて書いていこうと思う。

良い運ゲー と 悪い運ゲー

前の記事 は艦これとモンハンがメインで運ゲーそのものについて詳しく書ききれなかった気がするので。 運ゲーって言葉はよく批判に使われるけど、「なんだこの運ゲー!」と叫ぶときは、「運に振り回されてる気分しかしねーぞ!」という意味だ。 運ゲー=クソゲーではない。

「抑圧と解放」ゲーム。運ゲーとしてのモンハンと艦これの話

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なんか艦これが運ゲーとか運ゲーじゃないとか話が上がってた気がするので、それとは別に関係ないけど俺が艦これについて思ってることを喋り、ついでにモンハンを殴る。 運ゲーという言葉はネガティブに取られがちだがこの言葉は運で攻略するゲームであるという以上の意味を持たない。なのでそういう言葉を使わずに言うと、 艦これは面白くはないです。

ガチャが嫌いな理由

俺がソーシャルゲーム(ソーシャルと言いつつSNS全然関係ないのも増えてきてるが便宜上基本無料でガチャ課金でランダムにユニットを集めるタイプのゲームのことをこの記事ではこう呼ぶ)の課金ガチャが嫌いな理由を説明する。 課金ガチャが嫌いな理由はただ一つ。 「欲しいユニットを手に入れるための予算が組めない」からだ。

早まった一般化に気をつけよう

「早まった一般化」 という誤謬がある。 いくつかのサンプルだけで全体の傾向を判断してしまうという論理上の誤りである。