【FGO】2部イベント時系列考察

この記事はFGO1.5部及び2部2章までの内容を前提としています。



2018年10月24日、新ハロウィンイベントONILANDが始まった。
参加に2部2章までのクリアが要求される初めてのイベントということで、ついに2部本編の時系列に沿ったイベントが行われるのかと期待されていたが、蓋を開けてみれば前回までと同様カルデアが存続しダヴィンチも生きている1.5部時空だった。これには流石に首を傾げた。

1部と2部ではあまりに舞台設定が違いすぎるので全員参加のイベントなら1.5部設定になるのもやむなしだが、最新の時系列に合わせられる2部前提イベにおいても同様の設定を維持するのはどうも腑に落ちない。

1.5部までのFGOはイベントをただのパラレルやお祭りで済ませず本編とリンクさせてきた。終章では今までのイベントのサーヴァントが再登場したし、CCCイベに至ってはほとんど本編のようなものだった。
しかし2部に入った途端「あったかもしれないエピソード」「査問が2018年末までもつれ込んだ」などとパラレル設定でお茶を濁しに来ている。
イベントも含めたライブ感を大事にしてきたFGOが、いまさらこんな安易な逃げに走るだろうか?

全員参加イベントならともかく、2部前提ですらそうなったことで、一つ思いついたことがある。

2018年のイベントはおそらくパラレルワールドなのだろう。しかしそれは整合性のための逃げの設定などではなく、むしろ…

イベント時空 異聞帯 説

イベントでプレイヤーが見てきたのは、本編とは別人で別の世界の、異聞帯のカルデアなのだ。
考えても見てほしい。FGO2部は、自分の世界の未来のために「あり得たかもしれない世界」を否定し切除していく物語だ。そこに自分自身のifが含まれないなどという都合のいい話があるわけがない。当然、より幸せだったかもしれない、より楽しかったかもしれない自分も否定しなければ嘘になる。
そこで関わってくるのがイベント時空だ。ほぼパラレルワールドと明言されているに等しいこの世界は、本来2017年末に滅ぶはずのカルデアが2018年まで存続してしまった異聞帯と考えられる。
本編の主人公は、この愉快なカルデアさえも自分の世界のために滅ぼすことになる。残酷さはパツシィやゲルダの比ではない。巴と一緒に塔を登ったり、ジャンヌオルタと一緒に同人誌を作ったりした、プレイヤーにとって紛れもない本物の思い出も、本編主人公にとっては切除しなければならない障害になる

自分で言っていてなんだが、悪趣味にも程がある。
そしてきのこはそういうことをやりかねない。

型月作品においてもう一人の自分と向き合うというのは普遍的なテーマである。
式には織が、志貴には七夜が、士郎にはアーチャーがいる。
FGO本編主人公に立ちふさがるのが、イベント時空の主人公というわけだ。
FGO1部はみんなで頑張って世界を救うという型月にしては珍しいくらいストレートな物語だったが、2部でそういうエグい展開が来るとしたら、それこそいつもの型月らしいと言えるかもしれない。

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