シン・ゴジラを見てきたけど感想が言葉で表せないんだという話

タイトルの通りです。
シン・ゴジラを見てきました。
ネタバレ注意。

まだ見てない人はこの記事を読まず今すぐ映画館の席を取ってください。
絶対です。




今まで映画館で見たゴジラはハム太郎の抱き合わせになってた奴ぐらいで、あとはテレビでアメリカ版のGODZILLA(マグロ食ってない方)が放送されるのを横目に、という程度だった。

庵野監督の作品に関してもエヴァを齧った程度で他はなんにも知らない。
だから今回の鑑賞は「なんかtwitterのTLで話題になってるしちょうどTOHOシネマズの無料券が当たったところだし見に行ってみようか」というちょっとした縁によるものだった。

まあなんだ。

終始涙ぐんでしまった。

映画で泣くって言うと俺はてっきり誰かが死ぬとか悲壮な決意を固めるとかそういういかにもほら泣けさあ泣けという展開に涙するもんだとばかり思っていて、そんなお涙頂戴で泣いちゃうほど俺の涙は安くはないとも思っていたのだが、まさかゴジラが闊歩して東京が破壊されたり10式戦車が整列して砲撃するようなシーンで感極まって涙が出てくるとは思いもよらなかったのだ。

自分でもなんでこんなじーんと来てるのかさっぱり分からない。建物が押し流される震災の記憶とか、「もし現代日本にゴジラが現れたら?」という中二的思考実験とか、自衛隊の現行兵器が実践に稼働されるという男のロマンとか、核が落とされる寸前まで頑張る人たちの姿とか、なんかそういうよく分からないいろんなものが洪水のように襲いかかってきて心臓を鷲掴みにされたのかもしれないが、見てる時・直後ははとにかく「なんだこれ! なんだこれ! やばい!」と語彙力を完全に喪失してしまうほどの衝撃だった。



喪失した語彙力をなんとか取り戻しつつこの作品について語ろうと思うが、これは「怪獣映画」というよりも「災害対策ドキュメンタリー」に近いのではないかと思う。
さっき言った通り「もし怪獣の概念が存在しない現代日本にゴジラが現れたら?」というSFなのだ。
政府はどういう対応をするのか、自衛隊はどう活動するのか、一般市民はどんな反応を見せるのか、都民の非難は可能なのか…
そういった男なら一度は妄想したことがあるであろう空想科学な思考実験を真面目に映像化してしまったのがこのシン・ゴジラという作品である。

ノンフィクションのドキュメンタリーと錯覚してしまうほど、細かいところのリアリティが凄まじい。
最初にゴジラが東京湾に現れた際、消防士や警察が避難しろと叫んでも野次馬がスマホのカメラを向け続けたり、トンネルから退避するための滑り台を降りる際にキャーッとはしゃいだり、フィクション作品ではなかなか表現の難しい「正常性バイアスがかかり危機感に欠けた一般市民」が上手く描けている。
実際、先の震災でも津波が迫ってきているのに屋上で呑気に撮影を続ける人がいたことは記憶に新しい。

そんなリアルな東京に突然ゴジラという荒唐無稽なフィクション存在が現れるのだから、まさにこの映画のキャッチコピーの通り「現実(ニッポン)VS虚構(ゴジラ)」と言うにふさわしい。

最初はCG丸出しなゴジラは変異するに従って徐々にリアルな造形に変わるのだが、これは虚構だったゴジラが現実に侵食しているように感じる。
逆に日本の自衛隊が最初は豆鉄砲のような機関銃でゴジラに傷一つ付けられなかったところを、後半では模型撮影のようなアングルで描写された「無人在来線爆弾」という頭悪そうな攻撃方法で足止めするなど、現実である我々が虚構という土俵に押し入って反撃しているような印象を受ける。

ただ一点、石原さとみが終始ルー語を喋ってコイツだけ現実と虚構の間をフラフラしてるような感じだが、まあ緩衝材の役割にはなってるんじゃないだろうか。鼻につくといえば鼻につくけど。



もうとにかく「男の子ってこういうのが好きなんでしょ」を突き詰めた最高の作品なので最高だと思った(小学生並みの感想)。

コメント