「ググれば勉強しなくていい」は間違っているか?

結論から言ってしまうと、ググるのも勉強の一つである。
身も蓋もない話ではあるが、教科書を読んで勉強するのも、ウェブページを見て勉強するのも本質的には同じことだ。
ただ知っての通りネットの情報は精度が低いのでリテラシーが要求される。ファクトチェックというのはつまるところソースに当たることなので……結局、最終的には本に辿り着く。だから同じことだ。
「内容を鵜呑みにしてはいけない」というレベルの話ではあれば、それこそ与太本だろうがまとめブログだろうが変わらない。

「電卓があれば手計算は不要」という意見はどうだろう。
これは部分的には賛成だ。実際、情報処理の現場で九九より複雑な手計算なんてめったにすることはない。
ただし、計算機はあくまで道具だ。何を計算して数字をどう使うのかまでは電卓はやってくれない。
縦5cm、横3cmの長方形の面積を計算するのに5x3の計算を電卓に任せるのはまあいいとしても、電卓は長方形の面積の公式は教えてくれないし、そもそも面積の概念自体勉強しなければ知りようがないことである。

同様に、「変換があれば漢字を覚えなくてもいい」という意見に関しても、変換した漢字が正しいかどうかの知識が結局は必要になる。事実、この文章を書いている間も何度も誤変換をしては修正している(可能な限り直しているが残っていたらごめんね)。



話は変わるが、暗記というのはなんのためにするものだろうか。
個人的な話になるが、俺は子供の頃暗記が大嫌いだった。別に苦手ではない。暗記のために何度も同じ漢字を書き取りしたり単語を暗唱したりするのが嫌いだったのだ。
というか、そんなに長時間かじりつかなくてもやってるうちに勝手に覚えられるのに時間単位やページ数単位でノルマを与えられるのが死ぬほど飽きるし苦痛だった。「こんなバカなことやらなくても実践すれば覚えられるのに」というのが本心だった。
実際のところ、そのスタイルで大学受験までなんとかなったので間違いだったとは思っていない。公式を丸暗記しなくても、教科書片手にその公式を使う問題をいくつも解いていれば、そのうち勝手に覚えられるものだ。
とはいえ、方法はともかく暗記そのものは非常に重要だと思っている。九九レベルの計算にいちいち電卓を引っ張り出したり、学習漢字レベルの筆記にいちいち辞書を引っ張り出していては時間効率が悪すぎるからだ。

暗記をする理由。それはシンプルに、時間短縮のためだ。暗記しなくては生きていけないわけではないが、社会性は著しく劣ってしまう。通訳を挟んで会話するのと直接会話するのとどっちが生産的か?言うまでもない。

コメント